Rudy Van Gelder ー レコーディングエンジニア列伝 ー

RVG
photo by James Estrin/The New York Times

先月末の2016年8月25日、伝説的なレコーディングエンジニアのRudy Van Gelderが逝去しました。

一般的に知名度が高くなりにくいレコーディングエンジニアでありながら、ジャズ好きであればその名を知らない人はいない、と言っても過言でないくらい伝説的な人物。

何故そんなに知名度が高いかというと50-60年代のジャズの録音作品で信じられないくらい多くの作品のレコーディングを手がけているからです。

どのくらい多くの作品を担当しているかというと、録音作品のオンラインアーカイブ Discogsで確認できるクレジットされているタイトル数だけども3000タイトル以上(多分同一タイトルのバージョン違いも含まれる)

マジで常軌を逸しています笑

50-60年代のBlue NoteやPlestige、60年代のImpulseという有名なジャズレーベルの作品のほとんどが彼のレコーディングなのでジャズを聴き始めた時に「これ誰が録音したんだろう?」とクレジットを見るとRudy Van Gelderという確立が異常に高い。

で、何故にこれほどまで多くの作品を担当していたかというと、当時誰にも真似できないような音を作り出していたからだそうで、実際に今聴いても半世紀以上前の録音だと思えないくらいクリアで迫力が半端ない音になってます。

でもそんな音源を録音していた場所が1959年までは実家の居間で、しかも本業は検眼医だったり、自身のレコーディング手法については秘密主義を貫いたり、マイクを持つ時は必ず手袋をしたり、普段は温厚なのにマイクを素手で触られるとブチ切れたり、セッションの途中にバードウォッチングをしようとか言い出したり…ちょっと変わった面白い人物でもあります。

今回はそんなRudy Van Gelder(ルディ・ヴァン・ゲルダー)を追悼すると共に色々な所で語られている彼のキャリアを紹介してみたいと思います。

ちなみに一番下のリンクに色々と詳しい情報がありますので、英語がイケる方はそっちを参照して下さい笑

幼年期〜高校時代

1924年11月2日ニュージャージーに生まれる。

ラジオでジャズを聴いて育った彼は12歳の頃にホームレコーディングのデバイス(空のディスクと録音できるターンテーブルで多分Rek-O-Kutと呼ばれてるやつ)を手に入れて、録音という行為に初めて触れ魅了されたらしい。

高校ではマーチングバンドでトランペットを演奏するも下手っぴだったため、演奏する舞台であるフットボールの試合のチケットモギリに降格させられてしまったという笑 しかし音楽への情熱は冷めずに家ではジャズやビッグバンドをいつでも聴いてたそう。

また高校時代にはアマチュア無線にもハマっていてて、電子機器全般に魅了されられるようになったといいます。

大学時代

高校卒業後は検眼医を目指しペンシルバニアの大学に進学します。

なぜ検眼医かというと数学が苦手だったことと、卒業後の収入が安定してそうだったから、そして自制心を鍛えるため(謎)だったそうで、案外そこらの学生と考えることは変わらなくて親近感が湧きますね笑

大学時代に友人とフィラデルフィアのラジオ局に見学に行った時、その適切に設計された機材や流れている音楽などに非常に感銘を受け、そういった機材や環境の中でキャリアを過ごしたいと考えるようになったそう。

特に電子機器の見ためのかっこ良さとかデザイン性も好きだったようです。一方で数学が苦手っていう話だし多分回路設計とかに関する事柄とかは苦手だったんじゃないかな〜

検眼医〜新築の実家をレコーディングスタジオにする

大学卒業と同時に検眼のオフィスを立ち上げて検眼医としてのキャリアをスタートさせます。

またこの時期に趣味としてやっていたレコーディングを地元のバンドの作品を作る要望に応えて有料で行うようになり、後に作ったSP盤が地元のラジオでプッシュされてからは結構依頼も増えるようになったとか。

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実家の写真? from http://www.jazzwax.com/

そんな中、父親から家を建てるという話を聞いた彼は新しい家のリビングの隣に2重ガラスの付いたコントロールルームを作って欲しいとお願いします。しかもリビングは録音しやすいように出来るだけ広くと…

常識的に考えると無茶なお願いのように思えるのですが、息子がレコーディングに傾倒していた事を知っていた家族はすぐにその要望を快諾。(まじかよ)

いくつかの要望を取り入れて出来た家のリビングルームは天井がとても高く、とても素晴らしい音響効果が生まれたそうです。

こうして後に数々の名作が録音される最初の「ホームスタジオ」が完成するのでした。

元祖宅録エンジニアですね笑

ノイマンのマイク〜テープレコーダー導入

もともと独自にレコーディングの研究をしていたため色々なジャズのレコードを買って聴いては誰が録音したとかどんな機材をつかっているのかを尋ねたり(時にはレコーディングスタジオに見学に行って)調べたりしていました。

neumann
ノイマン博士 from www.neumann.com/
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U47マイク from www.neumann.com/

電子機器の見た目やデザイン性も好きだった彼は特にマイクに強い興味を持ったそうで、ジャズミュージシャンのレコーディングや演奏している写真があると演奏している人でなく、もっぱら何のマイクが使われているのかを見ていたほどだとか。

そして1949年、彼はそのキャリアを特別なものとするための重要なマイクを手に入れます。

そのマイクはドイツのNeumann(ノイマン)博士が作ったU47という真空管コンデンサーマイク。

それまでのレコーディングではどこのスタジオもRCA製かWestern Electric製のマイクしか使われてなかったそうですが、ルディ曰くそれらのマイクよりも感度がとても良く、なおかつ温かみも持っていたとのこと。

そんな「新しい」ノイマン製のマイクを当時アメリカで2番目に手に入れて、どこよりもはやく使い始めたそうです。

これが当時のRVGサウンドの秘密であった可能性が大ですね。

そしてもうひとつの転機はこれまた1949年に導入したテープレコーダーでした。

それまではアルミ製のラッカーディスクに直接録音(ダイレクトカッティングってやつ)されていましたが、テープはラッカーディスクより安価なうえ、停止や再生、やりなおしなど、今まで出来なかった事がレコーディングで出来るというアドバンテージがありました。

ss_ampex300

さらに同時期LPレコードが市場に登場し、より収録時間の長い作品が求められるようになる時代の流れがあり、その後爆発的に普及するテープを少し先駆けて導入出来たことも幸いします。

ちなみにその時購入したテープレコーダーはAmpex Model 300で、これも見た目がかなり気に入っていたらしく曰く「それまで見てきてきた機材の中で最も美しかった」とのこと。

価格は2000ドルだったらしいですが、当時のアメリカの平均年収が3600ドル、車の値段が1650ドルだったのを考えると、かなり高い買い物ですね〜

そんなお高い機材なのに説明書は薄っぺらいものしか無くて、基本的に勘で(笑)使い方を研究したそうな。

Blue Noteとの出会い〜仕事の急増
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pic from http://americanhistory.si.edu/

そうした技術的な革新を得て、1952年にルディのキャリアにとって大きな転機が訪れます。

Blue Note Recordsとの出会いですね。

きっかけはルディが録音したGil Mellé(ギル・メレ)の作品で、何らかの理由で御蔵入りになってしまったその作品をギルがBlue Noteに持ち込んだことでした。

その音源を聴いたBlue Noteの創設者であるAlfred Lion(アルフレッド・ライオン)はギル・メレと契約することになります。

そしてアルフレッドがBlue Note用に契約したギルの作品を録音するため、いつものレコーディングスタジオのエンジニアに「このレコードのように録ってくれ」と頼んだところ「無理。録ったやつのとこ行ってくれ」と断られ(正直だな笑)、ギルと共にルディの元へ訪れたのでした。(その記念すべき作品はNew Faces-New Sounds – Quintet / Sextetだという)

この後からアルフレッドはレコードのマスタリング(プレス用のカッティング)等、技術的な事もルディに依頼するようになり、1954年にはほぼ全てのBlue Noteの作品をレコーディングするようになりました。

そしてBlue Noteの作品にはRudy Van Gelderのクレジットが表記され(当時ではエンジニアの名前がクレジットされるのは珍しかったらしい)、その名前が知れ渡るようになり、Plestige RecordsやSavoy Recordsからもレコーディングを依頼されるようになり50年代中盤からはもう週のほとんどの時間をレコーディングに費やすようになるのでした。

自分のレコーディングスタジオを建てる

曜日ごとに各レーベルにブッキングされ毎日のようにレコーディングセッションが繰り広げられるようになりましたが、レコーディングが行われているのは実家の居間です笑

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こういったよく紹介されてる名盤は全部居間でのレコーディング。。

午前中は検眼医として働き、午後からジャズミュージシャンの夜に行われるライブ(彼らの仕事)の前にレコーディングセッションが行われ、共働きの両親が帰宅する時間帯もたいていまだレコーディング最中だったそうな。

なので専用の裏口をわざわざ作って、家に入っていたそうです。なんちゅーことや

普通だったらテレビを見たりしてリラックスするためのスペースの居間を完全にレコーディングに使われているのに、両親はとても協力的でむしろ応援してくれたらしいです。一度だけ母から「もうちょっと片付けなさい」とメモ書きが残されてたくらいで、居間でめっちゃ喫煙されまくっても全然オッケー

ちなみにルディの「聖域」であるコントロールルームでは完全に禁煙だし、マイクを持つ時は絶対に手袋を付けたりかなり整頓されていたらしい。おい!笑

とにかく両親は寛大すぎだろう…

そんな感じで数年間多忙を極めていましたが(その間結婚もしたり)あまりに実家を占領しすぎたことの罪悪感か、1958年にようやく自身のレコーディングスタジオを建てようと決心します。

そしてハッケンサックの実家から車で15分くらいのところ(Google map調べ)のエングルウッドの土地を買い、アメリカの有名な建築家Frank Lloyd Wrightの元で学んだという建築家に依頼をして、天井まで約11メートルという高さの礼拝堂を彷彿とさせる美しく理想的なレコーディングスタジオを手に入れるのでした。

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Van Gelder Studio外見。一見小屋に見えるけど、半地下なのかな? pic from http://jazzcollector.com/guest-columns/a-blues-walk-a-visit-to-a-shrine/

1959年末に活動拠点を完全に移し、現在まで残るアメリカの音楽史上でも有名なレコーディングスタジオとなってます。

ちなみにハッケンサックでの最後のレコーディングとエングルウッドでの記念すべき最初のレコーディングもともにテナーサックス奏者であるIke Quebecのセッションだったそうです。

60年代〜70年代〜そして現在

新スタジオになって両親に気を使わず昼夜とわず活動でき、部屋もさらに広くなったことでレコーディングに幅が広がり、これまでのクライアントに加えImpulse Recordsも加わったりで超多忙な日々を送り、John Coltraneの”Love Supreme”等歴史に残る名盤をいくつも制作します。

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60年以降のスタジオ作品はエングルウッドのスタジオにて。

60年代後半にジャズの勢いが弱くなってきてくると、今度はCTI Recordsから専属での契約を持ちかけられ70年代はまで同レーベルのイージーリスニング的と称される音楽を中心に録音します。

70年代後期には妻が病気になったため一時的にスタジオを閉鎖するも、80年代からはまた活動再開、90年代〜現在に至るまではBlue NoteやPleastige、CTI等の50〜70年代にリリースされた作品のリマスタリングを担当するなど亡くなるまでずっと現役を続けていたようです。

そして先日2016年8月26日に92歳で亡くなりました。

レコーディングテクニックは完全に企業秘密

ルディは生涯現役でデジタル技術など常に新しいものも貪欲に吸収、1992年のインタビューでは「昔の音源を聴き返すと、今のテクニックや機材があればもっと良く出来ると感じる」と言っていたりと常に向上心を持っていた模様。

しかし一方で弟子は一人も取らず、自身の培ってきた技術的な事は全く漏らさなかったといいます。

セッション中の写真撮影は基本的にNGで、わざわざ使わないマイクを立ててどのマイクを使っているかをわからないようにしていたとい逸話(真偽は不明)も残っているほど徹底した秘密主義。

インタビューでも何の機材を使っているかを語りたがらず、聞かれても絶対に答えませんでした。

結局亡くなるまで秘密を守ったので、彼の独自に培ったノウハウは一代限りのものになってしまいましたね。

最後に私の作文「ぼくとRVG」

まだジャズとか聴いたこと無かった頃は「昔の音源=ビートルズ=あんまクリアでない」という思い込みがあったのですが、Rudy Van Gelderが録音した50年代半ばの作品を聴いた時に信じられないクリアさにマジでぶったまげましたねぇ。

そしてその時期のBop系中心に聴き始めるのですが、どれもエンジニアはRudy Van Gelderだという。

彼の作る音で好きなのは月並みな感想ですがやっぱりシンバルの響きですかね〜

人によってはブライトすぎると評されるRVGサウンド(RVGリマスターも賛否両論らしい)ですが、確かにナチュラルサウンドというよりは攻めた「カッコイイ」音のように感じます。

今でこそジャズとかはオシャレな?印象を持たれる音楽ですが、元々は尖った音楽っぽいしそんぐらいの攻めっぷりを感じる音も個性があって良いですよね。

自身のレコーディング手法について語らず「単純でなく、複雑だ」とも言ってますが、実際には非常にシンプルなものだったんじゃないかと個人的に想像してます。

多分、良い感じなところに良い感じのマイクを置いて、良い感じに混ぜる…的な単純さ。

シンプルで誰にも出来そうだけど「良い感じ」って部分はRudy Van Gelder本人にしか分からないのでマネは出来ないのですが、本人は言ったら真似されちゃうと思ったのか、はたまた説明しようが無いと思ったのか…そんな感じだったんじゃないかな〜ってね

今となっては真相は分からないですけど。。

まあ何にせよ素晴らしい録音作品を残してくれているので、これからも聴きこみたいと思います。でも量が多すぎる笑

それにしても残されたレコーディングスタジオはどうなるのかな〜 機材の状態はどれも良いだろうし、貴重なヴィンテージ機器はRVGが使っていたというのも含めとんでもない価値になってるんだろうな〜

(終)

参考にしたページ(思い出せる限り笑)

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