マスタリングで音圧を上げる前に知って欲しい幾つかの事

マスタリングを自分でするにしろ、スタジオで業者に頼むにしろ多くの人にとってマスタリングをする目的は楽曲の「音圧」を上げることになっているように思えます。

本来マスタリングとは音圧を上げるためだけの工程では無いコチラも参照されたし)ですが、グーグルで検索してみても「マスタリング 音圧 上がらない」だとか「マスタリング 音圧 上げ方」なんて検索予測で出てきますよね。

音圧戦争/ラウドネスウォーなんていうトピックがネット上で見かけるようになったといえど、今や誰だって音圧を上げることが出来るし、「おまかせマスタリング」みたいなサービスにお願いすれば何も言わなくても音圧が上がって帰ってくるでしょう。インディー/メジャー問わず目に付くバンドやアイドルソングもほぼ100%音圧が高いですし業界のスタンダードになっています。

でも、ほとんどのバンドマン/アーティストは自身の楽曲に対してどのような処理が施され音圧が上げられるのか、そしてその弊害についての知識が無いものだと思います。

別に知ったこっちゃない!っていうのも自由ですが、自分の録音作品がより良い状態でリスナーの元へ届けることが出来るように、今一度「音圧」に関する事柄を再確認しても良いのではないでしょうか?

ということで、バンドとかで録音作品を自主制作している方々に読んでいただきたい(というか昔の自分自身が知っておきたかった)、マスタリングで音圧を上げる前に知ってほしい事柄を幾つか書いてみました。

是非、読んでみてください。

前知識:音圧とは何かについてのおさらい

はじめに前知識として「音圧」とは何かをおさらいしましょう。

今回ここで挙げる「音圧」とは、ステレオファイル( 2mix )にバウンスされている録音楽曲の持つ平均音量のことと「ほぼ」同意義です。

波形で見てみると下図の緑色の辺りが音圧の成分と見なせます。1つ目の波形図はマスタリング的な工程で音圧を上げてないもので、2つ目の波形図は所謂「音圧の高い」楽曲です。

所謂「音圧の低い」と言われる波形。赤い線はデジタル上での最大値である0dBFSで、これ以上は切り捨てられる。

所謂「音圧の高い」と言われる波形。赤い線はデジタル上での最大値である0dBFSで、これ以上は切り捨てられる。

実際のところ楽曲の音圧というのは楽曲のアレンジ的な要因などで決まり、基本的にアレンジ/録音/ミックスダウンの時点でその録音楽曲の持つ音圧は決まります。

例えばロックなどの「音圧の高い」ジャンルの音楽では、歪ませたギターを「ギャーン」と大きな音量で出すアレンジにより音圧が高くなりますが、ギターを歪ませないで小さな音量にしたアレンジにすると全体の音圧が低くなりますよね?アレンジが決まったら録音して、ミックスダウンでそういったバランスを得るわけです。

一方で、マスタリングという工程で扱うのはアレンジもミックスダウンも済ましてバウンスされているステレオファイル(2mix)なので、既に楽曲自体の音圧はほとんど決まっていると言えます。

こういったことから本稿では、マスタリングに関連した話の中で出てくる「音圧」というのは基本的にその楽曲(ステレオファイル/2mix)の持つ平均音量と見做します。

再生機器のボリュームが固定されている時に、平均音量が大きい楽曲は小さい楽曲よりも音が大きく聴こえ、その時大きい音量の楽曲は「音圧が高い」と表現されていることは御存じだと思います。

昔のCDの音圧が低く感じるのは収録されている楽曲の平均音量が現在のものよりも低いためなのですね。

では、そろそろ本題へ入りましょう。

1:音圧を上げると元の質感から変化する

まず紛れもない事実から言うと、現在世の中でリリースされているPOPS/ROCK並みに音圧を上げると元の質感(=ミックスダウン直後の質感)から必ず変わります。

結果が良いか悪いかは別として、必ず変わります。

なぜかと言うとデジタル内で音楽を表現する時は最大値( 0dBFS )が決まっているため、音圧を可能な限り上げるためには元の波形を変形させる必要があるからです。

以下に音圧を上げるために行われる作業の概要を紹介します。

図1(拡大可能):ミックスダウン直後の波形図の例(ステレオトラックのL側)。最大値からある程度マージンを取った状態でマスタリングに提出することがベターとされる。

一般的にミックスダウンの時にはマスタートラックにマキシマイザーやリミッターなどを使わないことが多く、セオリー的にはデジタル内の最大値0dBFSまで数dBのマージンを取った状態でミックスダウンは行われます。

図2(拡大可能):図1の状態から単純に音量をピークが最大値に到達するところまで上げただけの波形。図1からの音質変化はナシ。

図1の状態からマスタリングで音圧を上げるのですが、まず最大値である0dBFSまで空いているマージン分波形を大きく出来ます。

単に拡大しただけなので音質の変化はありません。

図3(拡大可能):図2の状態から昨今のCDぐらいまで音圧を上げた波形。ダイナミックレンジを犠牲にし音圧=平均音量を大きくしている。

図2から更に昨今のCDレベルまで音圧を上げるためには、波形のギザギザしているところ(=ダイナミックレンジと呼ばれる部分)を潰してスペースを作り空いた分だけ上げるという作業が行われます。

波形が変わるということは周波性成分の内容が変わるということですから、元の質感とは変化するということですね。潰した分だけ元の音質から変化することになることは、直感的にも分かってもらえると思います。

つまり高い音圧と元の質感はトレードオフの関係になってるのです。

もっと直感的に分かりやすくするため、キャンバス内の絵を拡大する作業に置き換えて例えてみます。

あるキャンバスに「星」の絵を書きました。(ミックスダウン)

この「星」を出来るだけ大きく見せたい、ので拡大します。(音量を上げる)

これよりも更に大きくしたいけどキャンバスサイズは変えられないので、元の形を圧縮しながら無理やり大きくします。(音圧上げ)

イメージ出来ましたか?この一連の作業をGIF動画にしてみるとこんな感じになります。

もともと最後の「四角い」形を描く目的であれば問題ありませんが、もし「星」の形を描くのが当初の目的であれば結果はメチャクチャです。

つまりミックスダウンを頑張ってミックス直後の音がほぼ理想的という場合であれば、過度に音圧を上げることでミックスで得た質感が失われてしまうのです。

そもそも元の音質を損なわず音圧を上げる手法を世間では競い合っている事自体が、明らかに「元の音質を損なう」という事を前提としてますよね。

2:音圧は再生音量によって決まる

「元の質感は損なわれても音圧があった方が良い!」…と考える方もいると思います。

なぜ音圧を高くしたいかっていうと、人間の聴覚の特徴に「大きな音の方が良く聴こえる」というのがあるためで、それを実現するためマスタリングにてデジタル内で表現出来る目一杯まで波形を詰め込み平均音量=音圧を上げるわけですね。

ただ、ここで思い出したいのは楽曲の平均音量を上げるのは機器の再生音量を上げることでも可能だという事です。

先に書いたように、アレンジも録音もミックスも終えた楽曲の「音圧」は平均音量とほぼ同意義であるため、再生音量を大きくすれば音圧も基本的には上がるものなのです。

例えば音圧が「高い」とされる最近の楽曲と「低い」とされる昔の楽曲を再生機のボリューム位置を同じした時にスピーカーから出てくる音圧はこんなイメージです。

この場合は当然ながら最近の楽曲の音圧が高く感じます。

しかしitunesのボリュームや再生機(スマホなど)の音量調整で両者の再生ボリュームを揃えると…

感じる音圧は同じくらいになるのです。

さて、ここで今一度思い出したいのは再生音量はリスナーが決めるという事実。

音が大きいと思えば音量を下げるし、音が小さいと思えば音量を上げるはず。(だよね?)

つまり、いくらマスタリングで音圧を高くしても、リスナーが再生音量を下げてしまったら昔のCDと同じくらいの音圧になってしまうのです。逆に音圧が低い楽曲の場合はリスナーが音量を上げれば適切な「音圧」が得られます。

そして、マスタリングで音圧を上げることによって出来る音量差はプレーヤー(itunesとか)や再生機(スマホとか含む)で割と簡単にボリューム調整が出来る程度のモノであるのです。

3:音圧と商業的成功は関係ない

「でもさー、メジャーの音楽はみんな音圧高いし、音圧を上げなきゃ売れないんじゃないの?」

確かにオリコンチャートなどにランクインしているようなメジャーな楽曲はほとんどすべて音圧が高いと思われるので、音圧と商業的成功に相関関係があるように見えます。

しかし、相関関係と因果関係は別物だということは忘れてはいけません。両者に因果関係がなければ高い音圧が原因で売上が良くなるという結果があるとは言えないのです。

そして今のところ、音圧と売上の因果関係は認められていません。

それどころか音圧と商業的売上に「相関関係」すら無いのじゃないかという説が、2010年にAudio Engineering Society(1948年にアメリカで発足した音響技術者、研究者など専門家で作られる国際団体)で発表された論文で紹介されていました。

“The Loudness War: Background, Speculation and Recommendations” Earl Vickers

というかCDが今より全体的に良く売れていた90年代は今の楽曲ほど音圧が高くないわけで…むしろ音圧が高くなるにつれて全体のCD売上も落ちてるとも言えませんか?

もちろん今の話にも因果関係は無いと思いますが、結局「音圧」と「商業的成功」との間に何の因果関係を見いだせていないというのが現状です。

つまり、音圧が高かろうが低かろうが売れる時は売れるし売れない時は売れないのです。

4:音圧は簡単に上がるが、音圧を上げたファイルからは元には戻せない

一昔前は音圧を上げるためには高価な機材が必要であったようです。

しかし今や安価で高性能なプラグインがあったり何なら無料で音圧を上げてくれるサービスなんてのも登場したりで、誰しもが簡単に音圧を上げることが出来る時代になりつつあります。

しかしながら、一度マスタリングにて音圧を上げてしまった楽曲から元の質感を取り戻すことは今現在の技術では不可能。音圧を上げるために潰されたダイナミックレンジ(波形のギザギザしたところ)は、後から取り戻せないのです。

つまり、音圧を上げた状態の楽曲を提供するということは、音圧を上げることによって失われる前の元の質感をリスナーに届けるチャンスを完全に排除することになるのです。

そして…これは個人的な印象ですが…音圧を上げない事で文句を言う人よりも、音圧を過度に上げる事で文句を言うリスナーの方が多いです。音圧を上げたことによって失われたダイナミクスは戻せないからね。。

ともかく、音圧を過度に上げていない楽曲を届ければ音圧を上げるのもそのまま聴くのもリスナーの自由となります。

どちらもハッピーになれるのです。

5:アナログレコードでは音圧を過度に上げる作業は意味がない

ここ数年アナログレコードブームというのが発生し、欧米ではもうCDよりアナログレコードの方が売れてるみたいな話もあったりでバンド系の人は特にアナログレコードで音源をリリースしたいという人も多いと思います。

ハッキリ言ってアナログレコードを作る上で、音を大きくしたいという目的で音圧上げをしても無駄です。

アナログレコードの場合、収録される音量は盤面の音溝の幅によって決まるため収録時間と密接に関係しています。

そして、元の楽曲データから音溝に変換する作業はプレス工場のカッティングエンジニアによって行われます。つまり、音圧の調整というのは収録時間とカッティングエンジニアのさじ加減で決まるのです。

プレス工場に送る前の「プリ」マスタリング工程で過度に音圧を上げてしまうより、カッティングエンジニアが元のトラックからアナログレコードの音溝へ適切に変換をしたほうが音圧もクオリティも保証されると思われます。

なのでアナログレコードの音圧を上げたいなら、カッティングエンジニア(プレス工場)に直接相談してみましょう。

ちなみに、このカッティングエンジニアが行う作業が本来の「マスタリング」といえます。

6:ラウドネスノーマライゼーションを実装するサービスが増えている

皆さんお馴染みのYoutubeや近年話題の音楽配信サービスのApple MusicやSpotify等はラウドネスノーマライゼーションという機能が搭載されています。

Youtubeのラウドネスノーマライゼーションを検証してみた。

2017.05.16

Spotifyのラウドネスノーマライゼーションを検証してみた

2018.04.03

ラウドネスノーマライゼーションというのは各楽曲の音量を調整して「音圧の高い楽曲」と「音圧の低い」楽曲を立て続けに聴いても音量差が出ないようにするもので、これを自動で調整してくれる機能として各社サービスが実装し始めているのです。

先に書いたように音圧は再生音量によって左右されますので、自動で再生音量が調節されると「音圧のむっちゃ高いマスタリング」を施した楽曲はただ単に「元の音質が損なわれた楽曲」になってしまいます。

まだまだ機能の精度が完璧でなかったり、単なるオプション扱いだったりでメジャーな機能とは言えませんが、今後このラウドネスノーマライゼーションが広く適用されるようになった時には音圧を上げるため行った作業が無効にされる上に逆効果になるかもしれません。

ちなみにテレビなどの放送業界ではラウドネス基準が定められているので、音圧を爆上げにしても基準内の音量に下げられてしまいます。

あとがき:ちゃんと聴いて判断しよう。

いろいろ書きましたが、「音圧をむーっちゃ上げたい!」というのも好みの問題なので自由です。

だけど、何となく「皆がやってるから…」とか「メジャーの音源はそうだから…」という理由から音圧を過度に求めているならば、もう一度考え直してみても良いのではないでしょうか?

正直言うと、レコード会社やプロダクションに売り込みたい、とかオーディションやコンテンストなどで結果を出したい、という場合であれば「音圧」を過度に上げるメリットはまだあります。今のところそれが音楽業界の常識になっていて、審査する側も「音圧」が高い方を好むと思われるので。

でも、もし、インディペンデントな活動をしていてリスナーに直接音源を届けることが出来るようなバンド/アーティストだったり、純粋に自分の録音作品を残したいという目的なのであれば、音圧を過度に上げる必要性は全くない…と、個人的に思っています。

せっかく録音作品を作るなら不毛な音圧上げなんてしないで欲しい…別に音圧を上げるなと言ってるわけではなくて、最終的に調度良い再生音量にした時スピーカーから出てくる質感を大事にしようよ…っていう話です。

なのでマスタリングをする際は「音圧を上げたバージョン」と「元のミックス」を聴感上で同じ音量に揃えて聴き比べることを忘れないで下さい。そうすれば、たぶん間違えないはず。

ちゃんと「元のミックス」を貰うことも忘れずにね。

以上、純粋に録音音楽を好いている者であり、ミキシングまでは担当する事のある者からの切なる願いでした。

ご精読ありがとうございました。

(終)

もっとテクニカルに深く知りたいという方は以下のサイトもご参考あれ(日本語)